書くために行動する、シミュレーションじゃ記事にならない


映像がなければテレビにならない


テレビは、映像がなければテレビにならない。テレビ局に取材を持ちかけたとき、よく聞かれることは「写せるものはありますか?」といった趣旨のことだと聞く。

テレビクルーからすればビデオカメラに納めて見栄えがしないようなものは、番組にならないと感じているからではないか。


シミュレーションの記事は興ざめだ


記事の場合は、何でも記事にできる。心理描写だろうと、誰かの熱い思いなどテレビが苦手とするものでも記事にできる。しかし、それがリアリティがあり、読者の共感を得る記事になるかという問題となると、NO!である。

誰かの意見や考えや、そんな心の中のシミュレーション(思考)は感動的でもなければ、他人が共感するものでもない。リアリティが薄すぎるのだ。

読者は事実を読みたい。事の物理的な推移を聞きたい。なるべく文字情報からビジュアルに追体験できる文章にリアリティと共感を感じるのだ。


書くために行動する、行動したらすべて書く


そういう観点からすれば、何でも創作できる記事でも題材は、イベントや事件やその人のアクションや実際に行動したことが記事になる。

書くなら行動すべきだし、行動したもの、物理的に何かが動いたもの、変化したもの、これらは記事になる。そして、行動したものは、すべて記事になりえる。

職業的ライターなら書くために行動し、行動したものはすべて書き留める覚悟がいる。



  • (2011-11-04 06:23:29)







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