- (2017-09-25 17:23:48)
なくなる仕事
10年後、人の仕事はずいぶん少なくなるそうだ。機械ができるからね。
今でも、多くの力仕事はおおむね機械がやってくれる。事務作業なども単純な繰り返しなら機械にやってもらった方が、圧倒的に確実・安全・低コスト。
サポートセンターもAIで
そのうちコールセンターなど人との会話が必要なサービスでさえ、コンピューターがやれるそうだ。コールセンターの人々の、理不尽な顧客によるストレスも解放される日が来そうだ・・・しかしそうなれば、そもそも働いていた人は不要となる。
雇用自体が、壊滅していく
2000年頃までは産業の進展は雇用の創出を伴っており、比例関係にあった。しかし2010年頃から、IBMワトソン君や車の自動運転のように急激に人を代替するサービスの出現が現実味を帯び、多くの人が要らなくなることが明白になりつつある。
コンピューターなら一夜で外国語をマスターできる。数年かけてもマスターできない我ら人間と比較してどちらが有能か?
それは言語の分野の話だが、各分野ごと、人間との能力比較で、実に多くの分野で、人の無用性が確認されるだろう。
人間はAIより偉いという前提も危ない
いちおう、コンピューターは人間より有能であっても「人間に尽くす僕」という前提で製造されている。しかし人類が市民革命を通して無能な支配階級を倒してきたように、ある種の意思や目標を持たされたコンピューターが出現する世界では人類の生存自体に疑問を持つ機械達が出現しないとも限らない。
1980年代の映画『ターミネイター』はおもしろかったが、ありえないと感じた。
しかしコンピューターが人類に対して反乱を起こすという状況は充分にありうると今では感じるようになった。
現実的な話として
このような大げさな状況に至るまでにはまだいろいろステップがあるだろうが、しかし自分の仕事がAIに奪われるという状況なら、近い将来、いろいろな場面で起こりえる。どうすれば人はAIより優れた行動を取りうるか?
AIにはかなわないけど、いちおう、人だけに人権が認められ、AIには人権が認められないという社会が維持されている状況が残っている前提で空想してみた。
AI対策
私の答えは:「苦労すること」
人は自分のカラダを使って肉体や心の痛みを味わい、もがき、時に生死の境を漂う体験を通してコンピューターが学習しにくい教訓やインスピレーションを得る。
昔、人々は苦労を通して人間性を研き、知識や技能を取得してきた。
現代文明は人間を様々な苦労から解放してきた。
思えば、文明の歴史とは人の苦労の解放の歴史だった。
それが、なんのことはない、また苦労を強いられる世界が到来しようとしているのではないかと感じる。