奇跡の川、玉川上水(2)
  • (2017-08-15 17:50:23)

江戸に飲料水を運んだ玉川上水

武蔵野の森は四季の変化に富む。猛獣はほとんど存在せず毒ヘビや毒草も少なく多くの動植物が共生した森です。文明化とともに森は減少していきましたが、武蔵野の美しさは未だ人々の心の中にある。今回は武蔵野を横断するグリーンベルト玉川上水をお届けします。

驚異の水道

玉川上水は東京都羽村市の多摩川から分流され新宿区四谷まで流れる川。1653年に開削された。その目的は膨れる江戸に飲料水を供給すること。

四谷に入った玉川上水はそこから地下水道として市中に配水された。現在玉川上水を見ると素堀の場所が多く自然の川という印象を抱きがちだが、異なる点は水面が地面より数メートル低いこと、両脇が森林に覆われていること。

川幅6メートル、両脇の森林地帯含め全体で幅20メートルくらいの森林ベルトが、羽村から四谷まで延々43キロ続く。標高差92m。自然流下のみで運用されました。驚異的な測量技術です。

昭和40(1965)年、新宿の淀橋浄水場が廃止されると同時に、玉川上水は多くの区間で上水道としての役割を終えたが、清流自体は細々と流れ続けています。

■玉川上水の工事を指揮した玉川兄弟像(羽村取水堰)。工事はわずか8ヶ月で完成する

■羽村取水堰。多摩川から分流された水は現在でも数百万人の東京都民の生命を支える

■うっそうと茂る森林の中を流れる玉川上水。玉川上水は武蔵野台地の分水界の尾根を見事に走り武蔵野を東西に横断する

生命の水

江戸時代、江戸は百万都市として世界最大級の大都市。その江戸の人々を支えた6大上水のなかで、玉川上水は圧倒的な水量で江戸時代全期及び現代に至るまで首都を支えた生命線だった。6大上水の総延長は150キロとされ、当時世界最大の水道システムだった。

東京都水道局が管理する羽村取水所は現在でも使用され、その水は東京の3分の1の人々の生命を繋いでいる。取水所は一般に公開されています。

私ははじめてそれを見たとき震えるような感動を覚えた。妄想もした・・「もしテロリストにここが襲われたら」・・・社会科見学に来ていた子供たちには玉川上水より傍らで感極まり仁王立ちした変なオジサンの方が興味深かったに違いない。

古代ローマのアッピア水道

ローマは今でも街中にローマ時代の水道遺跡が点在している。ローマは他にオブジェがありすぎて、水道遺跡の観光客はまばらだが、全世界の水道ファン巡礼の地です。

私自身、ローマ郊外でアッピア水道(紀元前4世紀)の遺跡を見たとき、感無量・仁王立ちして長い時間眺めておりました。ローマ水道の偉大さは水質を維持するために水源からローマ中心部までの数十キロを石造りの高架橋で通したこと。構想の偉大さに圧倒された。

ロンドンのニューリバー水道

玉川上水の完成40年前、1613年、ロンドンではニューリバー水道が完成した。当時ロンドンの人口は25万人。テムズ川から汲み上げる水だけでは膨れあがる人口に対応不可能だった。

ロンドン北部60キロ地点の湧水やリー川を源泉として開削された上水道は「ニューリバー」(New River)と命名された。文字通り「新しい川」だが固有名詞化し現在でも多くの部分が現役の水道施設として使用されている点は玉川上水と同じである。

古代ローマ人から見れば玉川上水もニューリバーも一笑されるかもしれないが、当時、これらは最大規模の水道システムだったことは確かでしょう。

玉川上水と武蔵野

玉川上水は後年、野火止用水など多くの分水を行い、水に恵まれなかった武蔵野に農業用水を供給する革命的役割を果たした。

もし玉川上水がなかったら?・・・武蔵野の開墾も進まず、武蔵野は巨大な原生林地帯として現代に受け継がれていたはずである。現在、玉川上水は都会に残された極端に細長い森林地帯となり、多くの野生の動植物を育むサンクチュアリとなっている。

世界遺産登録を目指す動きもあるが、見せかけの世界遺産などに登録されなくとも武蔵野の歴史を大地に刻んだ玉川上水は私たちの遺産である。

(2013/3/11)

<< 生理的な限界が迫る< | >奇跡の川、玉川上水(1) >>
search
layout
category
web-writing(44), health(32), musashino(27), book(2), 震災(1),
admin

[▲page top]