クールブランドが飽和市場を食い取る
ブランドは消費者にとって自己表現の一つ。語るべきストーリーがあり、周囲が認識できるほど有名であることが重要。ブランドが実需マーケットを制覇する(2011/10/30 小平探検隊)


飽和している市場さえ革命は起きる


スターバックスでこれを書いている。何度来ても、ここは自分にとって先生に思える。

スターバックスが上陸するまで日本には快適な喫茶店が無数にあった。そして、日本のコーヒーショップはまさに飽和していると思われていた。

にもかかわらずスターバックスは軽く日本のコーヒーショップ業界を覆した。その原動力は、優れた味と優れた空間の提供だけでは説明つかない。

スターバックスブランドに対する人々の支持が革命の原動力と信じる。


需要型からブランド型マーケットへ移行する市場


商売はなんでも、実需要から消費が喚起される「需要型マーケット」から始まる。しかし、マーケットが成熟しモノが行き渡ると、ブランド型マーケットに移行する。

スターバックスは自分にとってそんな事例になっている。


私のスターバックス・ブランド体験


スターバックスを初めて知ったのは、90年代のはじめころ、ニューヨークに向かうユナイテッド航空の飛行機の中だった。無料で配られたコーヒーを一口飲み目が覚めるように驚いた。

右手に握りしめた紙コップには『STARBUCKS』とあった。「スターブックス」と読んだ。スターバックスは、私にとって目が覚めるような「驚き」からスタートした。

それまで日本ではアメリカ人は味がわからない、コーヒーは泥水のようだというクズのような迷信が語られており、海外体験が少ない自分もなんとなくそんな印象を抱いていた。

だからスターバックスの味は衝撃的だった。

今から思えば、スターバックス社は米国内の地固めが一段落し海外展開を図るための戦略として空港や飛行機を利用したプロモーションに注力していた時期なのだろう(エアラインを利用するとはうまいやり方だ)。

それからわずか数年後、スターバックは日本に上陸し、急速に日本市場に浸透していった。

私の場合、スターバックスのブランド体験は味でスタートしたが、個人的には数年でスターバックスの味は評価しなくなった。

しかし、今でも通い続けている。スターバックスにはリラックスできる空間があり、ブランドの心地よさがある。

日本の喫茶店にはまったく行かなくなった。この極端な行動の理由はタバコという物理的な理由があるものの、仮に自分がタバコ愛好家だとしても、スターバックスに向かう比率は高いだろう。


「心の満足感」も商品化される時代


需要型マーケットは人類にとって基本的なマーケットである。需要型マーケットは農業と同じく実質的に富を創出し流通し消費する市場である。よい商品であれば、そこには自然発生的な満足感が伴っていた。

しかし、文明が成熟し、物資がありふれ、製品間の機能差・性能差に乏しい市場では、実質的なモノの流通でけでなく、モノにプラスされた「心の満足感」が付加された商品でなければ、消費者に満足感を届ける力は薄い。

「心の満足感」も商品化される時代とも言える。

「心の満足感」、それがブランドと解釈している。ブランドは個別の商品に付いてくるオマケではない。そこが難しい。

作り手(メーカー、マニュファクチャラー)の歴史、モノ創りに対するポリシーから商品コンセプト・商品デザイン、販売の仕方に至るまですべてプロセスやフェーズにおいて語るべきストーリーを要求される。

また、語るべきストーリーがあっても周知されていなければ、無いに等しい。つまり、知名度とストーリーは、ブランドという自動車の両輪の関係にある。


富を創り出す人間と儲ける人間が分離する時代


現代文明を見る限り、需要型マーケットは、文明の成熟や製品の完成度に伴い、必ずブランド型マーケットが優勢になる。

そして、やがてはブランドの部分だけが肥大し、ブランドは実態がなくとも分離・独立、一人歩きしはじめる。

実質的な需要型マーケットに携わることがないブランドオーナーだけが儲ける構造に移行しそうな気配だ。ヨーロッパのビッグブランドは現在、この過程に来ている。

現代資本主義では、製造業よりも金融で儲ける方が有利な時代だが、金融の中でも、さらに先物やデリバティブのように高度にバーチャルな金融が優勢になっていく構図と事情が似ている。

平和で固定化した江戸時代を体験した日本人からすれば、この図式は感覚的に理解しやすい。富める者は生産者から分離する。


ブランドのマジック


アップルもブランド市場を象徴する事例だ。コンピュータとしての利便性や汎用性・拡張性を考えれば、OSはWindowsが圧倒的に有利だろう。世界のOS市場占有率もそれを物語る。

自分の場合、WindowsとMacintoshの間で迷うことはない。開発環境やデータベースの有無を考えると、Macは最初から比較の対象にさえならない(MacにもFileMakerがあるにはあるが)。

しかし、Macintoshを選択する人は多い。Macを選択する理由はそういう比較から超越している。Macファンは「Macが好きだから」という理論になっているようだ。


輝くリンゴマーク


これを書いているテーブルの前のテーブルに30代と思える男性がやってきて、私と向かい合わせる方向で腰を下ろした。彼はおもむろにノートPCを取り出して何かの作業を始めた。ノートの天版にはリンゴマークが大きく埋め込まれており、しかも、白く輝いている。

輝くリンゴマーク。

それがアップル社のMacであることは一目瞭然である。超薄くてクールだ。私のeMachinesの野暮なノートとはあまりにも印象が違う。

あのリンゴマークが重要なのだ。多くのアップルファンにとって、あのリンゴマークが周囲に見えることが重要ではなかろうか。


モノグラムがないルイ・ヴィトンは売れない


ルイ・ヴィトンのモノグラムと似ている。多くのヴィトンファンにとって、それが、どこかの高価なバッグということより「ルヴィトンのバッグ」であることが重要であり、さらにそれが周囲に「ルイ・ヴィトン」であるこが伝わることが重要なのだ。

モノグラムのないルイ・ヴィトンのバッグや小物や靴は、それがルイ・ヴィトンであっても売れない。


好きなブランドで、ささやかな自己表現


同じように、アップルファンには、リンゴマークが周囲から楽々認識できることが重要だろう。

それは、それを所有する人間がが自分はアップル社やアップルブランドを支持するという意志表明でもあり、アップル製品を所有することとそれを周囲に示すことで小さな自己表現にもなっているのではなかろうか。

ブランドの選択は、消費者個人の信念や価値観の自己表現の場になっている。性能や機能性を超えた価値基準や価値観が生まれる現象がブランド・マジックだ。

iPhoneの発売時、何時間どころか、数日かけてアップルストアの前に並ぶ人々の心理は、その製品が早く欲しいという動機程度では説明できない。

アップル社の重要なイベントに立ち会い参加したいというアップルブランドのファンとしての心理からの行動ではないだろうか。並ぶことが自己表現と考えれば早朝から並ぶ労力もなんとなく説明できる。

新しいiPhoneが「期待ほどではない」とマーケットから酷評されても何ら関係ない。むしろ、それでも「オレたちはアップルだ」という表明こそがアップルファンの心情だ。彼らにはブランドロイヤルティを試される多少の「踏み絵」は喜びにさえなっている。ブランド・マジックのパワーを見せつけられる思いだ。

(教訓) ブランドはクールでなければならない。そして、有名でなければならない。それを選択し手にする人が自分もクールに見えることが重要なのだ。

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  • (2011-10-29 05:37:19)
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