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HDDはテラ時代
  • (2009-07-19 11:19:13)


感覚は鈍感になる



ハードディスクを新調した。ビジネスデータだけなら当社の場合、数十ギガで大丈夫。しかし、最近のHDDは極端に安価になってきているためソフトウェアベンダーも容赦なく大きなファイルやプログラムを制作・使用・配布する傾向にある。それで当社の保管データもそれ相応に大きくなっていくことは確か。

そういう変化によって新しい需要を生み出しているIT業界の事情もあるだろう。大容量化の流れは止まらない。

当社の場合、動画を制作するようになって、あっというまに1桁容量が上がったが、映像業界ではハイビジョン化の流れが止まらず、今後2桁や3桁の容量が求められていくようになる気配だ。

これだけ保存媒体が安価になってくれば動画もデータ保存に関しては無圧縮時代が来るかも知れない。今回のHDD新調では動画を扱うという理由で、容量の大きめの物を買うことに。久々パーツショップをのぞくと1テラバイトのHDDが数万円。

「テラか・・・」

HDDはいつのまにかテラの時代に突入してた。しかも安い。HDDメーカーの経営は大丈夫なのだろうかと心配になる。

キロからメガになった頃、それは凄いことだった。ギガが出た頃、私は使いこなせなかった。それが10G、20G、30G、80G、100G、250G、320Gとジリジリを上がっていった。

何か意識革命が迫られていたが、うまく分析し解釈し適応し前に、現実はすでに日常的に使ったことがなかったコトバ「TERA」の時代へ突入していた。

こうなると驚くというより感覚自体が鈍くなる。無限に技術革新は可能なのかとも感じる。ある意味私の意識は危険な症状を呈している。

凡庸な発送だが「テラの次は?」と考え、ネットを引くと

「Kilo Mega Giga Tera Peta Exa Zetta Yotta Xona Weka Vunda Uda Treda・・・」

と書いてあるサイトがあった。本当かどうか私にはわからないが、テラの次はどうやら「ピータ」のようだ。「ペタ」と呼んだ方がよいのだろうか?

大容量時代が来ると何が変わるのか?ここにもビジネスチャンスがあるように感じているが、凡人には実感が湧かない。

回線やCPUは追いつけない



HDD容量が10年で3桁上がることに対して、CPUスピードはたとえばCPUの性能スペックの一つの周波数は10年前の100MHzが、現在4GHz程度なので1桁しか上がっていないし、これ以上の増加は漏電や発熱問題で見込めない。

何か違った技術革新が必要だが、その対策はDual CoreやQuad CoreのようにCPUを並列に並べる方式だった。処理能力の向上は足し算的なものでHDDの指数的革新とは違う。

ネットワーク回線は幹線スピードは不明だがローカルラインは10年前の64kbpsや1Mbpsが、現在では100Mbps程度なので2桁程度の伸びを示すが、回線の場合は不特定多数の人と共有する公共道路のようなもの。スピードアップされても参加者が増加すれば渋滞は避けがたい。

つまり、HDDはインターネット関連技術の中で突出した費用対効果を見せている。他方、他の技術の進歩はそれなりに凄いものながら、HDDと比較すると穏やかで、どうかすると頭打ちも感じられる。

アンバランスな進化ということになる。

記憶メディアのノーコスト時代がもたらすもの



記憶媒体・記憶メディアが、限りなくコスト0円に近づいていく世界がもたらすことは情報のむやみかまわない保存かもしれない。たとえば、全世界のWEBデータをタイムスタンプを押しながら保管する行為など。

それが何の役に立つか?といわれると回答できないが、そういう酔狂なことを喜んで企てる人が、アメリカンにはたくさんいるはず。意味も意義も不明確ながらとりあえず「全コピー」。

いるだろう。10年前のWEBも簡単に取り出せるせービスの出現もありうるように感じている。たとえば、Internet Archive Wayback Machine。アメリカ人は計り知れない。








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