本質を理解できない焦燥と「すごいな、ソーシャルメディア」
- (2011-02-05 06:06:20)
地球上のコミュニケーションインフラとしての事実と価値
大規模なSNSはいずれにしても集客に成功したという事実それ自体に大きな意味と存在意義がある。
当然価値もありプライスもつけることができる。
数面前Twitterが大騒ぎになった頃、私はかなり冷めた目で見ていたが、反面、その本質を自分は把握できていないという焦燥を感じていた。
今でもニュースティッカーか五月雨式広告としてTwitterを駆使している大企業やマスコミの態度には興ざめするが、Twitterが確固とした地球上のコミュニケーションインフラに成長したにとは間違いない。
「すごいな、ソーシャルメディア」
きのう偶然見つけたTwitterのつぶやき:
「アルジャジーラの中継を見ながら、Ustreamで副音声を聞き、そしてTwitterで関連デモのツイートを追う。すごいな、ソーシャルメディア。」
今回の中東諸国の動乱をバックサイドで駆動するインフラ「Facebook」「Twitter」はこの事件とともにソーシャルメディアの事例として歴史に残ることになるだろう。
権力のない民衆が頼れるモノは民衆同士の連帯しかない。同じ気持ちの人々をリアルタイムに連帯させるツールとして、爆発的な潜在力があることが証明されたようなものだ。
進行中の事件に参加するための強力なインフラ
リアルタイム性があるモノかつ進行中の事件性があるモノが、この種のソーシャルメディアのもっとも力を発揮するシチュエーションであることも感じられる。
日本も学生運動が盛んだった頃、このようなツールがあったら当時の政権は持ちこたえられたのか、相当燃え上がっていただろうなと空想する。
事件や話題を通して、世論のスパイク的な扇動や誘導に利用価値を見いだす権力者や政治家もいるだろう。
しかし、まだ見えない使い道・・・自分は時代遅れ
私も今回の中東の事件を見て「すごいな、ソーシャルメディア」と感じている。しかし、まだ自分の中で、この新しい文化というかイノベーションというか、本質を把握できないもどかしさがある。
自分は新しい文化や時代の変化に柔軟にスイッチできる体質の人間ではないようだ。