(2011年) ブランド構築と動画CM
- (2011-06-29 08:23:33)
動画の撮影・編集機材は限りなく安く
中小企業でもビデオCMや動画CMを創る時代に入っている。気づけば、テレビCMがはるか遠い「大企業さん専用メディア」だった時代はとうに終わっていた。
私が小さい頃、テレビ撮影用のビデオカメラは、おそらく数千万円の世界。90年代に数百万、2000年を越えると民生品なら数万円の世界である。
数年前リリースされた「キヤノンEOS 5D Mark II」はデジカメである。にもかかわらず映画並の動画映像が撮れることから映像のプロの現場を覆すエポックメイキングな製品となった。
「Mark II」以降、数百万円の業務用ビデオカメラを捨てた監督やクリエイターが大挙して「Mark II」でテレビCMや短編映画を撮り始めるようになったと聞く。
そして、今時の動画や映像の編集は、PCでデジタル処理。PCの極端な下落同様、動画編集環境も限りなく安価になっていく。
動画作品の公開手段はフリー
撮影機材の暴落だけでなく、誰もがパブリックに作品を公開できる手段も突然普及した。YouTubeである。
テレビと比較すれば限りなくゼロの影響力ながら、
(1)しかし、事実上存在しなかった自主制作動画の一般公開の道が無料で拓かれた。
(2)しかも、口コミなどでテレビを凌駕する影響力がある作品も現れたこと。
自分で制作する心意気が大切
撮影機材・編集機材は安価になり、公開手段は無料となった。後は制作である。制作コストは人手がかかるだけに依然高い水準にあるが、自分で撮り・編集できないこともない。
プロと素人の技術格差は依然歴然としているが、しかし、他社に丸い投げするのではなく、自分たちで撮影・編集することから始めるべきだ。
中小企業のブランドビルディングは、キーとなる活動を「制作会社に丸投げ」では何も生まれない。制作会社の人々にクライアントの思い入れと同じ程度の熱意や理解を期待する方がムリというもの。
マグレがあったとしても「よい作品を撮り続けていく」ことはできない。
作品制作に対する価値観の2局化
映像制作会社は、アマチュア層との差別化のためにさらに高度な技術やハイテク機材に向かう傾向がある。こうした状況で制作された動画は、作品本来の品質は別として、映像的には高度でハイ・クオリティな映像が生まれる。
しかし、一方で、世界中で量産される動画に囲まれた現在人には、見たい作品が多すぎる。一回見たらそんなに繰り返して見たくないもの。プロがこだわるほど私たち視聴者は細部を見ていない。
テレビがハイビジョン化されて消費者は喜んだが、だが、若い人々は、むしろテレビからYouTubeなどのインターネット動画に視聴対象を移し始めている。
YouTubeの動画など、ハイビジョンテレビと比較すれば極端な言い方だが「ノイズ」と言われそうな映像品質・音声品質である。
にもかかわらず、人々はインターネットに向かう。何を意味するか?
消費者にとって動画の本質は何か?が見えてくる。コンテンツそのものが重要であり、細部の映像品質や音声品質はその次ぎということである。
こう考えると企業が創る動画の優先順位が見えてくる
(1)コンテンツそのものが重要
(2)視聴者はいろいろ見たい。作品の種類を増やす
(3)映像品質は可能なら上げたいが、優先順位は上記項目ほど高くない
ますます凝った映像芸術に向き始めたクリエイターや制作会社がある一方、こだわりより生産性を重視する人々の2局化現象が見受けられる。
ブランドビルディングにおいて、そのどちらの方向性を選択するかはブランドの目指す価値観やスタイルによって違うだろう。また同じブランドでもブランドの成長過程によって違うだろう。
企業ビデオ作品の条件
映画を創る人々と仕事を何度かした。彼らの情熱や忍耐力は尋常でない。
しかし、こと企業ビデオ作品における制作では、制作過程におけるプロの過剰なこだわりはコストイフェクティブとはいえない。
企業のちょっとした商品ビデオや企業紹介ビデオは、ファーストフード同様「速く、安く、美味く」が必要だろう。
とくに若い立ち上げ中のブランドなら、予算的に両立不可であり、私は「こだわり」より「生産性」をより重視すべきと考えている。
・単一テーマであること
・全体としてメッセージがはっきりしていること
・ダイレクトであること
・わかりやすいこと
・短いこと
・作品数と種類を増やす
・継続的に新しい作品を作り続けること
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わかりやすくダイレクトなメッセージを短くパッと流す。これでいいと思う。しかし、種類を多くし、継続的に制作し続けていくスタンスがよいのではないか。
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